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守田英正のプレースタイルを支える「未来を計算し見据える力」と「厳しい環境に飛び込む力」。川崎フロンターレを選んだ理由。

守田英正がプロ1年目で前年度王者、川崎フロンターレのレギュラーになり、
その上で森保ジャパンの初戦に招集される日本代表になれたのは、

守田英正の性格…プレースタイルの礎になっている

「未来を計算し、見据える力」

「厳しい環境に飛び込む力」

があればこそですね。

 

守田英正について振り返ります。

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守田英正が大学最後の大会で口にした実感

守田英正は流通経済大学の選手として出場する最後の試合で、
他の学生とは全く異なることを口にしました。

多くの学生が
大学最後となる試合を前にしても、
実際に優勝を果たして、
大学4年間が終わった現実を迎えても
「実感がない」
と口にしたのに対し、

守田英正は
決勝前から

「実感ありますよ。すごく。あと1つで大学が終わる、と。
そうやってひとつひとつ考えて残りの大学生活を過ごしてきましたから」

と言い切りました。

これは流通経済大学のブログに書いてあったんですが…
それを読んだときに、
なんてすごい選手が入ってくるんだろう?って思ったのを覚えています。

守田英正は常に

今の自分の立ち位置と、これから過ごす時間を計算し、
目標を掲げて、到達すべき場所にポイントをおいて、
一つ一つクリアしていく…という選手なんですよね。

その資質はプレースタイルにも如実に現れていて、
2月とか、3月にできなかったプレーは、
今では難なくクリアしていますからね。

例えば、オフ・ザ・ボールで相手にフリーのエリアを与えない動きとか、
ダイアゴナルランで相手DFを剥がす動きとか、
緩急織り交ぜて縦にボールをつける動きとか…

こういう動きは開幕直後の守田英正ではできなかった動きですよね。

大島僚太とのコンビは、J1でトップだと胸を張って言えます。

全日本大学選抜も同僚選手負傷での追加招集

3年生の秋にはじめて全日本大学選抜に選出。

大島僚太が負傷で守田英正に白羽の矢が立った
今回の川崎フロンターレでの日本代表選出と同じように、
大学3年のときの全日本大学選抜せ出も、
同じく流通経済大学でプレーする
DF今津佑太(現ヴァンフォーレ甲府所属)が負傷により辞退したことで、
追加招集という形ではじめて全日本大学選抜に選出されたんですよね。

そして、その全日本大学選抜への参加が、
守田英正の運命を変えたと本人が言っていました。

「運命の、といっても良いくらいの機会でしたね。そのくらい大きな出来事だった」

その全日本大学選抜から1年で、
インカレで優勝し、MVPを獲得。

高校を卒業し、大学入る前はここまでの選手になるとは、
本人も想像していなかったでしょうね。

ましてや、大学卒業から5ヶ月で、
J1の2位(前年度王者)のチームでレギュラーとして活躍していて、
さらに日本代表に選出されるなんて…

すごすぎる経歴になりましたね。

守田英正の人生を変えた流通経済大との出会い

幼稚園の頃に5つ上の兄がやっていたサッカーをはじめた守田英正。

小学校時をクラブチーム、中学時は部活でサッカーに取り組んだものの、
Jクラブアカデミーも受けたが、落とされた程度の実力でした。

中学の時のチームが強かったので、
全中で全国3位になりそのチームのキャプテンでしたが、
今と全く違っていたのはポジション。

攻撃的なポジションで、守備は全くできなかったそうな。

金光大阪高等学校に進学して、全国には行けず…

対戦相手として、流通経済大学付属柏高校と対戦した際に、
衝撃を受けたことが人生を変えました。

高円宮杯プレミアリーグを高体連チームとしてはじめて優勝した、
最強という呼び声もある当時の流経柏高。

守田英正は、

「衝撃的でしたね。こんなにも巧いのか、と。
高校生でここまでできるんや、って。

選抜とかそういうので選ばれて一緒にやってきた選手たちが最高だと思ってたけど、そんなことはなかった。
流経柏は、とんでもない集団だった」

って言っていて…

「そこではじめて知りました。
この高校の選手たちの多くが、流通経済大学という大学でプレーするということを。
関西にも強い大学はあるけど、自分は大阪から出てもっとすごいやつらとプレーしなきゃと思いました。
自分がちょっとできちゃうんじゃダメ。
まったく通用しないなと思ったから、そこにいかないと、と思いました」

その結果、流通経済大を選んで人生が変わりましたよね。

攻撃的選手の守田英正をサイドバックにコンバートした流通経済大中野監督の目

超攻撃的な選手だった守田に守備をさせた、
流通経済大の中野監督は素晴らしいですよね。

守田英正の努力は間違いないのですが、
それ以上にこのコンバートが人生を変えましたね。

流通経済大のトップチームの攻撃陣は化物ばかりだったから、
守田英正が攻撃的な選手のままだったら、日本代表入りは無理だったと思います。

このコンバートはすごいことだったと思います。
当時守備に関しては相当怒られたって言っていましたからね…。

守田英正も
試合に出られるなら前線や攻撃にこだわらず、
守備を学ぼうと考えて、
監督に怒られたことも自分の中で整理して考えて、
何度も振り返ったそうです。

一つ一つのプレーを深くまで考えられる選手だからこそ、
ここまでの選手になれたんでしょうね。

というか、守備を深くやるようになってまだ、
3~4年ってことですよね…

それで日本代表…。将来性ありすぎますよね。

川崎フロンターレに決めた理由も守田英正らしい

全日本に呼ばれるようになって川崎フロンターレや、
ガンバ大阪をはじめとして、複数のJクラブの練習に参加することになった守田英正。

そして守田英正らしい理由で川崎フロンターレに加入することを決めました。

その守田英正らしい理由とは、
今の自分では通用しないということ。

「複数チームのトレーニングにいってみて。
フロンターレでサッカーをしたときに、
このままの自分では通用しないということがわかったんです」

「フロンターレのサッカーでは、自分に今ないものが備わっていないと成り立たない。
今のままの自分ではいきないんです。
だから、フロンターレに決めました。」

「今の自分は大学の舞台ではできる。という自信があります。
プロの世界でもその力で、ある程度はできるのかもしれません。

でもフロンターレでは、自分が一番下だった。
今の自分ではダメだと突き付けられた。

だからフロンターレに行きたいな、と。
もっともっと自分にないところを身に付けて、選手としてもっと伸びたいんです」

このときの決断が、今の守田英正を作ってるんだろうなぁ。

厳しいところに身を置く覚悟を持っている選手だから、
プロになって5ヶ月目で日本代表入り。

すごいことを実際にやっている選手ですよね。

ちなみに大学時代に川崎強化スカウトスタッフに
必ず「自分についてダメ出しをしてほしい」と、申し出ていたそうです。

日本代表でもたぶん一番下手…って自分では思うんでしょうね。

一度へし折られて、そこから間違いなく強くなる選手。

へし折られてからの成長スピードの速さは、
川崎フロンターレでの守田英正を観てきて、
全員が知っているところ。

代表から帰ってきた後の守田は凄い選手になりますね。

守田英正(もりたひでまさ)日本代表初招集!チャントがない!大島僚太、日本代表辞退で。

カタールW杯の主役は川崎フロンターレ。日本代表”主力”に大島僚太、守田英正、三好康児、板倉滉、三笘薫、旗手怜央、知念慶を!

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