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横山知伸現役引退を発表。一流企業を蹴って、川崎フロンターレでプロになって…脳腫瘍からの復活は感動しました。

お疲れさまでした。ヨコ。

横山知伸が現役引退を発表

川崎フロンターレでプロになったヨコ。2008年から、2011年というかなり短い期間だけでしたが…川崎フロンターレを支えてくれたメンバーの一人でしたよね。

練馬区立三原台中学校、帝京高等学校を経て、1年浪人して早稲田大学スポーツ科学部へ進学。

早大蹴球部の主力メンバーとして活躍し、4年時の2007年度、全日本大学選手権で優勝を経験。

大学の同期には、兵藤慎剛、鈴木修人、山本脩斗、島村毅と超名門大学ならではのプロサッカー選手ぞろいですが…横山は、卒業後は大手証券会社に内定が決まっていました。

しかし、川崎フロンターレ・向島建スカウトの打診を受け、内定を蹴って2008年に川崎に入団。

それから、12年間のプロ生活がスタートしました。

6クラブを渡り歩く流浪のサッカー人生

川崎フロンターレへの加入初年度はセンターバックで使われるかなー?って感じでしたが、2009年は関塚隆監督のコンバートによりMFへとポジションを移しました。

その年は…ヴィトール・ジュニオールの長期離脱や、中村憲剛のポジション変更などの影響もあり、ヨコの視野の広さや展開力を買われて、シーズン後半はレギュラーに定着しましたよね。

リーグ戦でいえば、川崎フロンターレでは16試合、26試合、24試合、10試合と4年間で76試合に出場。

2012年にセレッソ大阪に移籍すると、リーグ最終節の川崎フロンターレ戦で2得点を挙げる恩返しで、J1残留に尽力しましたよね。

その後、コンサドーレ札幌、ロアッソ熊本、そして、脳腫瘍の摘出手術の後のFC岐阜移籍を経て、この度引退を決意しました。

本当にお疲れさまでした。

FC岐阜を通じて、

子どもの頃から夢見ていたプロサッカー選手として12年間、楽しい時間を過ごす事ができました

2018年末に脳腫瘍が見つかった時は、まさに青天の霹靂でした。しかしその時『もう無理だ』と思っていたプロサッカー選手に戻れた事は誇らしく思います。

これもひとえにお世話になった病院の先生、退院からリハビリに付き合ってくれた石神井マメックス、帝京高校サッカー部、励ましてくれた先輩、友人、家族などいろいろな人に支えられながら、病気を乗り越え再び選手としてスタジアムに戻ることが出来ました

自分を成長させてくれ、素晴らしい方々に出会わせてくれたサッカー界に恩返しをしていけたらと考えております。今まで培ってきた経験を活かし、さらに知識を上積みしながら優秀な選手を輩出できる指導者になれるよう頑張っていきます

と指導者として戻ってくると、いうコメントをしていましたね。

ヨコぐらい頭のいいプレイヤーはいい指導者になりそう!!複数ポジションもできる選手だったし…これからの人生も楽しみにしています!!本当にお疲れさまでした。

 

しかし、俺が川崎にはまり始めたときによく見ていた選手がどんどん引退していくなぁ。

そうやってずっとサッカーを好きでいられたことは本当にいいことなんだけどね…。