ジャパネットの高田社長の以前のインタビューで、
J1優勝争いまでしたい、って言っていましたよね。
「そこまで言ったら「バカたれ」と言われそうですが(笑)、J1優勝を遠い夢というのもちょっと寂しい。どんなに高い目標でも、抱くことで励みになりますし、願いとして持ちたいですよね。ふり返れば、私がジャパネットで自社スタジオを建設し、テレビショッピングを始めたときも反対の声は多かったんです。でも、できない理由を考えて、できないと決めてしまったらそれで終わり。できる理由を考えたほうが面白いじゃないですか。せっかくなら頂点を目指したいです。」
これぞ、ジャパネットの経営の仕方だよなぁと。
改めて感動しています。
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養父雄仁がJ1に帰ってくるのがうれしい
背番号20番の養父雄仁のコンフィット持ってたし、
養父がいたころはずっとタオマフ養父でした。
一番最初に作ったユニフォームは中村憲剛ですが、
そのあとに養父の作ろう…
って思ったら移籍しちゃって作れずじまいでしたが、
長崎上がってくるなら養父のユニフォームを記念購入しようかなー。
養父雄仁は、川崎フロンターレの中盤でも十分戦えると思ってた、
天才の一人ですが、それがJ2でも十分通用する上に、
J1に昇格もできるチームの中心選手だったっていうのが証明されたのがうれしいです。
養父雄仁ももう33歳か…。
V・ファーレン長崎で背番号10。
平塚Jrユース出身で、
弥栄西高から、国士舘大にすすみ、
川崎フロンターレに入団。
国士舘大学で試合に出れなくなったときも
「自分はできるっていう自信をなくしたらプロになるのは終わりだと思った。自分は一番だしできるんだ。自分を磨けば誰かが見てくれるって信じて取り組もう。人のせいにしちゃいけない。自分が何をすべきかが大事なんだ」
とメンタル面でつぶれずにサッカーを続けていたことで、
川崎フロンターレが獲得します。
大学1年から見続けていた、庄子強化部長は、
その卓越したテクニックに注目し、
大学の先輩に当たる向島建スカウトも養父獲得に積極的に動きました。
強化指定で、フロンターレのキャンプにいきなり合流した養父は、
「こいつは、うまい」ってめちゃくちゃ言われていましたよね。
人見知りな性格が邪魔をして、
チームでなかなか結果を出せませんでしたが…
もう養父も33歳。
これからJ1で大活躍するには、
回り道しすぎたといわれる年齢になってしまいましたが、
それでも長崎がJ1で大暴れする姿を見たいし、
そこに養父がいてほしい!!
ヴァンフォーレ甲府、ロアッソ熊本で活躍し…
V・ファーレン長崎で花開きましたね。
ルヴァンカップのコメントもうれしいよね
「やっているサッカーやメンバーを見ても、これまでタイトルを獲れていなかったことが不思議なくらい。僕自身、ずっと気になっているというか、いつタイトルを獲れる日がくるかなと思っていたし、こうやってそのチャンスが来た。僕はフロンターレがタイトルを獲ると思っているし、いつもどおりのサッカーを見せてほしいです。
憲剛さん(中村)ほどの選手でも、タイトルを獲るのがいかに難しいのかと思いますけど、普通に考えたら獲れると思います。あの人はそれくらいうまいので。そういう瞬間をテレビで見たいですね。
フロンターレの試合って、びっくりするようなプレーがたくさん出るし、見ていても楽しい。観ている人たちを魅了して勝ってほしいです。
また、自分にとってはプロのスタートが全部、フロンターレなので全部、覚えています。いまの自分があるのもフロンターレで練習していたおかげ。非常に感謝しています」
養父雄仁がJ1のピッチで大暴れする姿を見たいし、
さらに言えば、等々力スタジアムに帰ってくる姿を見て、 泣きたいと思います!!
等々力で養父、これは泣けるぞ…