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黒津勝引退。J.FC MIYAZAKIでJFLを目指して戦っていたんですが…。

さみしい季節ですね…。

養父雄仁に、谷口博之、そして黒津勝引退。

養父雄仁、引退。大好きな選手でした。国士舘から川崎に加入した年の浦和レッズ戦でのゴールを覚えてる…。

谷口博之引退。そこにタニ。2006年Jリーグベストイレブン!川崎フロンターレからA代表へ。

大事なタイミングで怪我をしていたイメージのある黒津勝ですが…ガンバ大阪戦での黒津ロケットはいまだに覚えてるよなー。

黒津勝引退

ひっそりと、J.FC MIYAZAKIのページに掲載されていました。

黒津勝選手 現役引退のお知らせ

花咲徳栄高校から、川崎フロンターレ、横浜FC、ガイナーレ鳥取を経て、今年はJ.FC MIYAZAKIでJFLを目指して奮闘していました。

与那城 ジョージ監督監督の元九州リーグで2位になり、全国社会人リーグで栃木に1回戦で負けて…今年の活動を終了していたJ.FC MIYAZAKI。

J.FC MIYAZAKIの今シーズンの最後の試合で、ゴールを決めたのは黒津勝でしたね。それが彼の現役最後のゴールになりました。

デビュー戦のファーストタッチゴール

黒津勝について川崎フロンターレの古参ファンがよくいうのはデビュー戦でのファーストタッチゴールと、ACLガンバ大阪戦での黒津ロケット。

あと1年に2回GKのボールを奪ってゴールを決めたとか、代表に憲剛たち取られてたナビスコ甲府戦のゴールとか…とにかくインパクトの強い選手でした。

2002年8月25日、公式戦デビューとなったホームでのJ2第27節大宮アルディージャ戦。

ファーストタッチからドリブルでゴールを決めた黒津はみんな忘れてないんだよなー。古参のサポーターは。

黒津勝といえば怪我に泣いた男でした

2002年デビューしてゴールを決めたと思えば、2003年はけがでほとんど出れず、2004年はシーズンの終わりにようやく活躍。J2優勝に貢献。

2005年、2006年と圧倒的なフロンターレの攻撃陣の陰に隠れつつ、試合に途中から出れば結果を出していた黒津。

2007年に背番号を24から7へ変更してから数年はよかったんですけどね…。

ACLで過密日程の中、決定力の高いスーパーサブとして活躍してくれてたし、森勇介がいないときに左ウィングバックで出たり…スタメンはとれずに苦しんだけど、チームになくてはならない存在でした。

2007年はA代表のキャンプに呼ばれたりもありましたし、2010年に鄭大世がドイツへ渡ると、先発起用されて、8得点したりと活躍していたんですが…2011年の怪我で、すべてが変わった印象です。

2011年開幕戦2日前にアキレス腱周囲炎を発症し、リハビリを経たものの…リーグ戦は最終戦のロスタイムに出場しただけだし、天皇杯を含め、わずか2試合の出場のみ。

2012年は、開幕戦直後に左足首を痛めるなど怪我に悩まされて3試合の出場。同年オフ、契約満了により12年間在籍した川崎を退団しました。

記録より、記憶に…

古参の川崎フロンターレサポーターからすると、黒津勝のクロツロケットが!とか、いろいろ話しやすいキャラクターだったし、プレイヤーとしての質も高い選手でした。

なぜか結果を出す…そんなインパクトのある選手。

それは横浜FCでも、ガイナーレ鳥取でも、J.FC MIYAZAKIでも変わらない印象でした。

プロでの成績だけでいえば…J1通算151試合26得点、J2通算105試合19得点、J3通算22試合2得点。

たくさんの試合に出た選手ではないです。ただ、カップ戦のような一発勝負には本当に強かった。

ナビスコカップは、27試合12得点。天皇杯は20試合4得点。ACLは13試合2得点。

九州リーグでもゴールを決めているし、川崎では2005年から2010年まで必ずゴールを決めていたし、横浜FCは在籍3年間すべての年でゴールを決めていました。

出場時間に関係なく、ゴールを狙っていた男。そのスピードで相手DFの裏を取るのが本当うまかった男。

 

黒津勝ゴール!黒津勝ゴール!

 

本当にお疲れ様でした。