谷口博之引退。そこにタニ。2006年Jリーグベストイレブン!川崎フロンターレからA代表へ。

サガン鳥栖からの発表で、元日本代表MF谷口博之(34)が今季限りで現役を引退するという悲しいニュースがありました。

養父雄二が35歳、谷口博之が34歳。

川崎フロンターレには39でJ1の優秀選手に選ばれるモンスターがいるから、まだ若いって思ってしまいますが…それでもプロサッカー選手にとっては34、35ってそういう年なんだよな…。

谷口博之引退。そこにタニ。

横浜Fマリノスのユース出身の谷口博之は、2004年に川崎フロンターレに入団。

ルーキーイヤーの後半から出場機会を増やすと、2005年にボランチとして起用されると、中村憲剛とのダブルボランチとして活躍。

2006年にはボランチの選手なのになぜか、ゴールをバンバン決める「そこにタニ!」という言葉で得点を重ねて、J1で13ゴール。ベストイレブンになり、日本代表にも選ばれる活躍をしました。

川崎、マリノス、柏、鳥栖・・・4チームで活躍し、そのキャリアのほとんどすべてをJ1で過ごしたのも素晴らしい。

キャリア通算、J1リーグで350試合52得点、J2リーグで11試合1得点、カップ戦で55試合7得点、ACLで26試合3得点を記録しました。

16年間、素晴らしいサッカー生活でした!」と現役生活を振り返り、「怪我や試合に出れない時期、良い時も悪い時もありましたが、どんな時でもたくさんの素晴らしい仲間、優しいサポーターが周りにいる中でサッカーが出来た事、本当に幸せでした。サガン鳥栖、横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、柏レイソル、全てが素晴らしいクラブでした。そのようなクラブでプレー出来た事を誇りに思います。今まで本当にありがとうございました」

足元のうまい選手では全くなかった

谷口博之は、日本代表に選ばれたこともあって、プレーを見たことない人もいそうで…そういうひとたちが「うまいプレイヤーだった」と誤解している気もしているので…個人的には言っておきたい!

歴代の川崎フロンターレでもトップクラスに足元が下手だった!

パスセンスはあまりないし、トラップも下手だった記憶がある。麻生に観に行っていたときに、中村憲剛と比べると圧倒的な差があった記憶もある。

本当はCBのポジションとかでやらせたかったけど、それに補って余りある攻撃力と、運動量があるという…本当に扱いにくい選手だった。

爆発するシーンと、大きなミスをするシーンが繰り返し出てくるような意外性のある・・・といったら聞こえのいい選手でした。

関塚さんのやりたいサッカーには間違いなくフィットしていたけど、高畠勉さんは扱いにくそうだったよなー。

だから、横浜Fマリノスに移籍したのは必然だったよなぁ。移籍の時のあいさつはこちら・・・。

このたび、横浜F・マリノスへ移籍することになりました。サッカーを始めて、プロへの道を開いてくれたのがフロンターレでした。

チームスタッフ、チームメイト、そしてたくさんの温かいサポーターの皆様に育てていただき、今の自分があると思います。とても感謝しています。

自分自身、サッカー選手としてもう一歩、二歩と成長したいと思い、移籍を決断しました。自分のわがままを聞いてくれたクラブには本当に感謝の気持ちで一杯です。

更に成長したプロサッカー選手になれるようにこれからも努力をしていきたいと思います。フロンターレの関係者の皆さん、そしてたくさんのサポーターの皆さん、ありがとうございました。

追われる形の移籍だったのは間違いない。

圧倒的な運動量と隙を見つけて飛び込むセンスは日本一

ポゼッションを高めるサッカーに代えようとしたツトさんにとって、カウンターサッカーの権化ともいえる谷口博之は合わなかった。

それでも、川崎フロンターレでプレーしていた時代の谷口博之のことを嫌いだったサポーターはほとんどいないでしょう。

90分走っても衰えない圧倒的な運動量はベストな状態の稲本レベルだったと今でも信じているし、DFの後ろに空間があるときに谷口博之が跳び込むセンスはジュニーニョレベルでした。

先発で使うには計算できない選手にだんだんとなってきた谷口博之が、途中出場で化学反応を起こして得点に絡んでいくスタイルは、後半につよい川崎フロンターレの印象を植え付けたきっかけになった選手だったと思います。

あの時の谷口博之は好きにならざるを得ない魅力的なプレーを繰り返す選手でした。足元の質の低さを補って余りある魅力を持った選手だった。

谷口博之選手、お疲れさまでした。