養父雄仁、引退。大好きな選手でした。国士舘から川崎に加入した年の浦和レッズ戦でのゴールを覚えてる…。

俺がチーム全体ではなく、初めて個人のコンフィットを買ったのが養父雄二でした…。

川崎フロンターレで中村憲剛2世と言われた2007年にはここまで紆余曲折敦選手だとは思ってなかったけど…いろいろなチームを渡り歩いて引退できたのは彼にとっていい人生だったのではないでしょうか?

養父雄二引退。最後は藤枝で

藤枝MYFCからのリリースで、養父雄仁が今季限りで現役引退すると知りました。

国士舘大から強化指定選手を経て、2007年に川崎フロンターレへ入団。

ヴァンフォーレ甲府への期限付き移籍、2012年にロアッソ熊本へ完全移籍。V・ファーレン長崎、藤枝とプレー。

J1通算29試合3得点、J2通算205試合17得点、J3通算25試合3得点。

記録だけ見ると素晴らしい選手だった、というわけではないのかもしれません。ですが、本当にプレーの質の高い素晴らしいMFでした。

2008年のぎっくり腰と、そのあとのちょっと不貞腐れた感じに練習してしまった期間さえなければもっともっと川崎フロンターレで活躍できていた気もします。

養父雄二のコメント

今シーズンで引退することになりました。5歳から始めたサッカーは僕の人生そのものだと思います。お世話になった川崎フロンターレ、ヴァンフォーレ甲府、ロアッソ熊本、V・ファーレン長崎、藤枝MYFC、本当にありがとうございました。こんな僕をずっと応援し気にかけてくれたサポーターの方にも感謝しています。今後は今までの経験を活かし、藤枝MYFCアカデミースタッフとして頑張ります

今後は、藤枝でスタッフとして活躍していくんですね。

高校時代から生真面目な練習の鬼

養父雄二の練習の鬼っぷりがうかがえるエピソードがあります。

2007年のF-スポットで、高校時代の話を語っていた養父のコメント、

天狗になっていると思われるのとか好きじゃないんです。自分は口ベタだし。だから、誰よりも練習しよう。そうすればあいつは誰よりも練習しているからって周りが認めてくれると思っていました

っていうのが好きだったな。誰もよりも練習して、テクニックを増やす、という選手だったのを覚えています。

ま校時代には、毎朝5時30分に起きて朝ごはんをかきこんで、5時40分に自宅を出発。通学に1時間かけ、朝の7時から1時間30分間の朝練習を日課としていたとF-スポットに書いてあって…それは部活があったわけじゃなくて、たったひとりで練習していたそうな。

部活後も、教室から漏れるわずかな明かりで部活(6時半まで)のあとの練習を夜9時ぐらいまで一人で練習をしていたそうです。

そして、練習を繰り返していたら、だんだんと養父だけではなくほかの選手たちも朝練をするようになり…私立にくらべたらグラウンドも狭く、照明もない県立高校がどんどん強くなっていきました。

養父が3年になると弥栄西高校は、新人戦で優勝。現在のプリンスリーグの前身であるスーパーリーグにも優勝。養父は、アシスト王に輝きます。

向島建スカウトが見出した大学の後輩

高校での活躍で、国士舘大学に入り、1年からレギュラーで活躍し、2年生までは活躍した養父でしたが3年時には戦術に合わないという理由で試合に出られない日々が続き・・・

そこからプロ入りに導いたのは向島建スカウトでした。川崎フロンターレは大学1年のころから養父に注目。

ちょうど関東選抜の選考があって自分ではできたと思ったけれど、落ちちゃったんですね。苦しかった時期にフロンターレからの話があって、なんていうか精神的にリラックスできました。建さんには常に『大丈夫だから』って声をかけてもらって感謝しています

と関東選抜に落ちたプレイヤーを、プロ入りさせるという…フロンターレらしい一貫としたスカウトの姿勢は今も変わらないですよね。

有名だろうが、無名だろうが、しっかりとした川崎フロンターレのサッカーに合うかどうかで取るというのがうまい。

川崎フロンターレの練習に参加した養父雄二はそのサッカーに魅了され、一緒にプレーしたプロの選手たちもそのセンスを認め、プロ入りとなりました。

浦和レッズ戦でのゴールを忘れません

中村憲剛と佐原が出場停止かなんかだった 2007年11月11日 の浦和レッズ戦。

その前の試合の天皇杯ですらベンチ入りしていなかった養父。浦和レッズ戦でのスタメンにもかなりびっくりした…ということがF-スポットに書いてありましたよね。

えっ? マジ!? と思って、そこから緊張です。でもすぐに思ったことは、『これは俺の人生を左右する試合になるな』ということでした。

養父は前半10分に先制となるゴールを決めるというすばらしい活躍を見せました!この日スタジアムで試合を見ていて、養父!すごい!ってなった記憶があり…その次の年養父のコンフィット買って応援していたなぁ…。

ジュニーニョだって

養父は、いいものをもっている。練習からしっかりやっているし、スタメンのレベルにあった。自分のもっているものを出してアピールするように言ってきたが、試合に出て自信につながったと思う

ってこの試合のあと語っていたし、向島建スカウトも

遅かったぐらいだよね。もっと早くからこれぐらいやれていたはず

って語るなど、期待に応える活躍をした選手だったんですが…2008年のぎっくり腰から変わりましたよね・・・。

ぎっくり腰、車水没・・・最悪の2008年

今でもこの2008年のぎっくり腰がなければ…というたらればをかんがえてしまう。養父がメインで活躍で着るチームになっていた可能性もあったはず。

2008年6月28日の新潟戦のウオーミングアップで、椅子から立ち上がった瞬間に、ぎっくり腰を患いました。

そこでベンチ入りができず…8月末、神奈川県伊勢原市の実家に帰る時に、集中豪雨で、冠水していた道路につっこみ水没、廃車。その前日に寮を出るために不動産屋に手付金を払っていたとかで…お金が一気に無くなるという不幸に見舞われました…。

どん底の2008年。1年目の2007年は5試合出場、2008年はそれを下回る4試合出場になり・・・2009年は復活したものの、8試合1ゴールと、才能を完璧に発揮していたとは言い難い3年間でした。

甲府へのレンタル、熊本の活躍、長崎での苦悩、藤枝での引退。

なかなか活躍できなかった養父にレンタルの話があったのは、2009年の年末。

J2で戦うヴァンフォーレ甲府にレンタル移籍。

3年間、大変お世話になりました。ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍することになりました。甲府はJ1昇格という明確な目標があるチームです。フロンターレでの経験を生かして、チームに貢献できるように頑張ってきます。また成長してフロンターレに戻ってきます。ありがとうございました。

そして、移籍先のヴァンフォーレ甲府でレギュラーの一角として活躍。川崎フロンターレの3年間の試合数を一気に超えて、1年でリーグ戦29試合5得点の活躍を見せると、次の年もレンタル延長。

その年は試合出場が12試合に減り、1得点のみになりましたが…川崎は保有権を手放すことはせず、レンタル期間満了で復帰のリリースを出した後に、ロアッソ熊本からのオファーもあり完全移籍。

ロアッソに行くときにの養父のコメントはこちら

今回、熊本への移籍を決めました。プロの始まりは川崎でとても勉強になったし良い経験になりました。熊本へ行ってもサッカー選手として全力で頑張りたいと思います。今までたくさんのサポート、応援をいただきましてありがとうございました。

好きな選手だからかなり悲しかったけど、養父が実力を発揮できる環境に行ってほしい、とも思っていたので、この移籍のあとで活躍してくれたのは本当にうれしかったです。

ロアッソ熊本では本当に、チームの中心選手となる大活躍でした。背番号10を背負って、移籍初年度の2012年は40試合、2013年は29試合、2014年は41試合、2015年は39試合出場。チームの中心としてJ2で名をはせました。

そして、V・ファーレン長崎へ完全移籍。

このたび、V・ファーレン長崎に移籍することになりました。
2012年から4年間、熊本には本当にお世話になりました。今回、非常に悩みましたが、新たな環境で挑戦することに決めました。ロアッソ熊本には本当に感謝しかありません。また何かの形で恩返しが出来ればと思います。ありがとうございました。

新しい環境でのチャレンジをしようと移籍した長崎では試合にそこまで絡めず、J1昇格への道で戦うチームの中心とはなれず、2017年昇格を決めたチームの中で、養父はJ1に昇格することができず、藤枝に移籍となります。

今回、藤枝MY FCに移籍することになりました。2017シーズンはファン、サポーターの皆さまと一緒にJ1昇格を果たすことができて、とてもうれしかったです。今年からは藤枝でV・ファーレン長崎の成功を祈ります。2年間ありがとうございました。

養父が結果的に最後の地に選んだのは、初めてのJ3藤枝でした。

2018年は25試合出たものの、2019年は出場ゼロ。引退も仕方ない・・・という結果でした。

藤枝はJ2ライセンスがなく、それでも2位に入れば鹿児島は残留といういい状況。最後の最後、勝ち切ってJ3を面白くしてもらいたいですね。

養父雄二選手お疲れさまでした!いいプレイヤーを育ててくださいね!!