パレードの話を書こうかと思ったんですが、田坂祐介への感謝を述べてなかったなと。
彼は川崎フロンターレが悪い時から、良い時まで全部知っている選手。今シーズン3試合しか出れていない現状、年齢から考えても、ある程度覚悟はしていましたが…川崎フロンターレから田坂祐介がいなくなるっていうのは本当に悲しいですね…。
川崎フロンターレの歴史の一部は、田坂祐介がいたから作り上げられたもの。彼がいなくなるのは本当にさみしい…。
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田坂が10年(強化指定含む)で川崎フロンターレを退団
田坂祐介がついに退団になりました。あー、寂しい。タサがいなくなるのか…。
青山学院大学在学中の2007年に特別指定選手としてリーグ戦デビュー。2008年から正式にクラブと契約すると、ドイツ(2部ボーフム)にわたるまでの5年間、そして、2015年に帰ってきてから4年間。
通算、10年間川崎フロンターレでサッカーを見せてくれました。
ドイツに渡る前とドイツから帰ってきたあとでサッカーの質はすごい変わりましたよね。
J1通算156試合15得点。ナビスコ・ルヴァン28試合3得点。天皇杯21試合5得点。
川崎フロンターレで205試合23得点。田坂祐介が見せてくれたサッカーは面白かったです。
⇒川崎フロンターレ田坂祐介のポジションやプレースタイルは?川崎フロンターレのユーティリティプレイヤー。
マルチロール、ユーティリティープレイヤーといろんな呼び方はありますが、川崎フロンターレでいちばんどんなサッカー、ポジションにも対応できる選手が田坂祐介だったと思います。
高いテクニックや正確なキックに加え、運動量や攻守のバランスにも優れる攻撃的MFとしてサイドだけでなくボランチ、時にサイドバックもできたという…素晴らしい選手でした。本当にいいサッカーを見せてくれて、ありがとう。
レナトショックを埋めてくれたのは田坂祐介
中村憲剛と田坂祐介が中心選手として活躍していたときに「川崎フロンターレはなんて素晴らしいMFを有しているんだー!!」ってワクワクしたもんです。
そして中心選手だったレナトを奪われたときに、レナトショックをうめてくれたのは帰ってきた田坂祐介でした。田坂祐介があのときいなかったら・・・と思うと、今でもぞっとします。
レナトの攻撃力は痛かったですが、それでも田坂祐介は守備力もある選手だったので…チーム力がそこまで落ちずに済んだんですよね…。あの時田坂がいてくれて本当に良かった。あのままではチームはきっと崩壊していたし、チームのレベルのキープは難しかったんじゃないかなー。
サンフレッチェ広島ユースで得たもの、川崎フロンターレで得たものをドイツでどんどん昇華させて、帰ってきた田坂祐介。川崎が流動的にポジションチェンジするサッカーをしていても大丈夫だったのは、田坂祐介がいたからこそだと思っています。
ユーティリティながら、スペシャリティな選手という稀有な存在でした。
将来また、川崎フロンターレへ帰ってきてね。
田坂祐介がいなくなることで、川崎の釣り部はどうなるんだろう?という心配もおおきい(笑)
田坂祐介がどんなクラブで、どんなサッカーをやりたいのか、わかりませんが、きっと川崎フロンターレではできなかったことを体現してくれると思います。だってあんなにどのポジションでも一定以上のサッカーができる選手はなかなかいないもんね。
だから、田坂は大丈夫。田坂祐介は川崎フロンターレでは現在はレギュラーになるのも、ベンチに入るのも難しいけど…J1の下位チームでも、J2、J3でもどこでも活躍で着る選手だと信じています。
今後どのクラブで、何年間田坂が現役を続けらるか分からないけど…できることなら、川崎フロンターレでの将来を見せてほしいなぁ。
田坂祐介の引退後は、川崎フロンターレでコーチなりなんなり、相応のポジションでサッカーを教えてほしい。彼が学んできたサッカーを、後続に教えることでサッカー界に貢献してくれたらもっといいなぁと思っています。
川崎フロンターレに田坂祐介がいたことを誇りに思います。そして、ひとまずさようなら。ありがとう。また会いましょう。
⇒田坂祐介の広島豪雨へのクラウドファウンディング「 #ミンナノチカラ」が目標達成間近!支援された金額すべてが広島のために。