川崎フロンターレ登里享平のプレースタイルは?怪我多いけど、チームを引っ張るムードメーカー!奥様とのエピソード素敵…

背番号2番の登里享平についてまとめていきます。
デジっちにノボリ&賢太郎がいることで、うちはかなりリードできていると思うんですよね。
それだけチームにいい影響を与えているムードメーカーですよね。

登里享平のプロフィールまとめ(中学、高校や大学は?)

登里享平は、大阪府東大阪市出身のDF。
のぼりさとではなく、のぼりざときょうへい。
1990年11月13日生まれ。左利き。

血液型はA型。家族は奥様と、長男。

身長は168cm、体重は68kg。

ノボリの経歴を見ると人生出会いだなーと

幼稚園に入る前から自宅のすぐ横にあったグラウンドで兄たちと毎日のようにボールを蹴って遊んでいたノボリは、両親の勧めで近所のサッカースクール、クサカSS(大阪府)に入団。

東大阪市立孔舎衙東小時代は、 EXE’90FCジュニアに所属。その後、EXE’90FC東大阪市立孔舎衙中学)と進み、高校では、大阪から離れることを決意し、香川県の香川西高校に進みます。

これは EXE’90FCの山元監督の母校が香川西高校だったのが大きかったみたいですね。香川西高の練習会へ参加を勧められて行ったことで、ノボリのその後の人生が動き始めたんですよね。

香川西高校の大浦恭敬監督との出会いも大きかったんだろうねー。

「香川西で俺も頑張ってきっかけを作るから、ぜひうちに来てくれ」

という大浦監督の熱意にほだされて香川西高校に進学することが人生を変えます。

高校では左サイドに固定されると、大浦監督からは

「ボールを持ったらドリブルをしろ」

「全部チャレンジしろ」

と言われ続けました。現在川崎フロンターレで時折見せる、ドリブルの基礎はここで生まれたといえます。

登里は香川西高校に入るまでは、単独でドリブル突破するようなタイプの選手ではなくて周りを使うプレーが多かったそうですが、ノボリ本人も気づいていなかったノボリの才能に大浦監督は気づいていたんですよね。

そして、登里が2年生になった年の暮れの全国高校サッカー選手権大会で、香川西の1回戦の相手は静岡の強豪、藤枝東高校だったことが、ノボリのプロ入りの扉を開きます。
この試合は、等々力陸上競技場で行われたんですが、そこに川崎フロンターレのスカウト、向島建がいたんですよね。

向島建スカウトは、静岡学園出身ですが地元は藤枝ですからねー。藤枝市立青島中学校出身。
向島建さんの地元の藤枝東が、等々力で試合をするからと見に来ていたときに、地元藤枝東ではなく、香川西の全く無名の左サイドの選手にくぎ付けになったそうです。

チームがずっと探していた左利きというところにも注目し、プロ入りにつながります。

このように…地元の EXE’90FCの山元監督の母校が香川西だったこと、香川西の大浦監督がドリブルを鍛えてくれたこと、香川西がたまたま藤枝東と等々力で戦ったことなどなど…それがすべてつながって今のノボリがいるんですよねー。

登里享平のプレースタイルとポジションは?

登里享平は香川西高校時代は攻撃的な選手でしたが、どんどんコンバートされて、今では左サイドバックや、左サイドハーフなどなど…左サイドのスペシャリストになっていますよね。
あのキャラクターなのに相当クレバーな選手なので、試合に出る時間が短くても、その場その場でチームの勝利に近づくプレーができている選手。

瞬発力を活かした重心の低いドリブル突破や、敵陣を深くえぐってからの速いクロスは、小林悠や、大久保嘉人などのストライカーが多いフロンターレにとっては、かなりの大きな武器になっています。

風間監督時代に本当に守備力を磨いたことで、ウイングやサイドハーフなどの攻撃的なポジションはもとより、左サイドバック、右サイドバックなどでも高い守備力を見せつけています。
ノボリって実際軽く見られがちですが、小林悠とも、長谷川竜也とも、家長昭博とも、阿部浩之とも、車屋紳太郎とも、エウシーニョとも交代できるすごい選手だと思うんですよ。
そして常に明るいあのキャラクターはチームにとって宝。超大事なユーティリティープレイヤーでオールラウンダーですよね。

今年でなんと、フロンターレ10年目の結構なベテランになりかけているのに…それを感じさせないのは、ノボリだからこそ。ピッチ内外でクラブを支えるムードメーカーですね。

色んなポジションをやることについてノボリは「昔はサイドでプレーしていても、中に入っていくのが嫌だった」っていうことを言っていましたよね。

「SHからSBになったときも、中に行かなくてすむから良かった」って思ったぐらいだったらしいけど、それが今は、タイミングをみて、中に切れ込んでゴールに絡む仕事をどんどんしているんだから本当に面白いですよねー。

ノボリ自身は

「生き残っていくためですよね。選手として。どんどん成長したいと思うし、プレーの幅を広げていきたい」

って言っていましたが、俺が見てきた10年近くで本当に守備も攻撃も成長したプレイヤーだと思います。

そして大久保嘉人、斎藤学が加入したことで、小林悠、家長昭博、阿部浩之、知念慶、長谷川竜也、中村憲剛、エドゥアルド・ネット、大島僚太などなど…すごい盤石な攻撃陣の中で攻守にアクセントとなりえるのは、登里享平だと思います。

登里享平の結婚相手(奥様)は?子どもは?

ノボリは奥様と、2016年に結婚。結婚式の様子はノボリのブログに書いてあります。

登里享平は25歳の時に孔舎衙中学の同級生と結婚。入籍日は10月25日でした。ノボリの母校の孔舎衙中学は、藤春廣輝井山裕太(囲碁棋士)を輩出しています。国民栄誉賞受賞者が出た中学校ってすごいですよね。

ノボリと奥様は成人式で再会し、交際に発展。4年の交際をへて婚姻届を提出しました。ちなみに入籍日の10月25日は香川西高から川崎Fに加入した2009年のサンフレッチェ広島戦でプロ初ゴールを決めた日で、2011年に2人が交際を始めた日でもあるそうです。

奥様とのエピソードですごい好きなのが、泣いているノボリにかけた優しい言葉。

2015年4月30に左膝半月板の手術をした際に、すでに何か月もリハビリを続けてきたうえで、左半月板損傷で全治4か月となって絶望してしまい、初めて彼女(数か月後に結婚する今の奥様)の前で泣いたノボリに、

『大丈夫。私がついているから、一緒に乗り越えて行こう』

って手を握って声を掛けたそうです。

本当に素敵な奥様ですよねー。ノボリが度重なる怪我から乗り越えてしっかりと今フロンターレの為に闘ってくれているのは奥様がいるからこそですよね。

そして、登里享平と奥様の間には、結婚の翌年長男が誕生しています。入籍日に近い10月30日。ノボリの誕生日も11月13日ですし、結婚記念日10月25日から、ノボリの誕生日の11月13日まではすごい幸せな3週間ですね。

登里享平は怪我さえなければ日本代表レベル

凄いひいき目に見ていますが、ノボリはすごい選手。何度も何度も膝の大きなけがをして、そのたびにもうだめか…って思っているんですが、また復活してくる。そして、怪我していたとは思えないぐらいの活躍を見せてくれる。それにノボリのすごいところは苦しい苦しいリハビリを耐えているのに、常に明るいことですよね。
彼が明るくいることで、フロンターレがどれだけ救われているかわかりません。

登里はユース世代ではそれぞれ日本代表に選ばれています。
2009年のU20の水原国際に始まり、2011年のU22日本代表のロンドンオリンピック最終予選にわたるまで呼ばれていますが…その後A代表には呼ばれませんでした。

ユース世代までのノボリが代表に呼ばれていたときとはポジションは変わりましたし、ドリブル突破でピッチを切り裂く、というようなあの頃のノボリとは違うかもしれません。
それでも怪我さえなければ日本代表…って思うのは、川崎フロンターレという攻撃力のあるチームの中でも独自性を保ちつつ、存在感を発揮していることと、守備の際にそのスピードを活かして相手の攻撃を遅らせて、守備陣のゆとりを造るプレーは、車屋紳太郎より上だと思うからです。
まぁそれ以外は車屋のほうが上ですが…。

登里享平まとめ

ノボリが今後、日本代表に選ばれることはもうないのかもしれません。

ですが、ノボリのあの明るい性格の裏には、すごい負けず嫌いの性格が隠れているのは間違いないので…(でなければ何度も何度も大きなけがをして乗り越えてもう一度ピッチに戻ってくることなんてできない) 彼がサッカーを続けている限りは、日本代表をあきらめるはずがないと思っているので、俺としては彼の日本代表入りを信じて応援したと思っているのです。

ノボリが控えで甘んじているということ自体が、川崎フロンターレの強さの証だと思っています。

 

次は3番ですね。

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