村上範和の波乱万丈な人生。ポドルスキの通訳。南ア初の日本人プロ選手。

ついに、ドイツ代表の大物、
ルーカス・ポドルスキがJリーグデビューをする日がやってきましたね!

そんな日に、ポドルスキの通訳について、
記事を書いてみようかなと!

ポドルスキの通訳をやっている、
村上範和さんは実は元プロサッカー選手です!

2016年に引退したばっかりの、
元海外組なんですよね。

ポドルスキの専属通訳をつとめる村上範和。

波乱万丈なサッカー人生を歩んだ、
村上範和さんのプロフィールをまとめますね!

村上範和さんのプロフィール

村上 範和(ムラカミ ノリカズ)
生年月日 1981年10月16日(35歳)
出身 神奈川県
身長 180cm
体重 80kg
ポジション FW

村上範和さんの所属クラブ

横浜フリューゲルスのジュニアユース出身、
マリノスのユースを経て、
明治大学に進学。

その後、日本のクラブを経て、
シンガポールのプロチーム、
南アフリカのプロチーム、
ドイツや、ベルギーのプロチームなど、
複数のクラブを渡り歩いて、
約15年間国外でプレーして、昨年引退。

横浜フリューゲルスジュニアユース
横浜F・マリノスユース
明治大学
Y.S.C.C.
プレデターフットサルクラブ
2004年6月 – 2005年 アルビレックス新潟シンガポール (シンガポール)
2006年 – 2007年6月 バレスティア・カルサFC (シンガポール)
2007年7月 – 2008年 シンガポール・アームド・フォーシズFC (シンガポール)
2009年 – 2009年8月 ホーム・ユナイテッド (シンガポール)
2009年8月 – 2010年8月 プラティナム・スターズFC(en) (南アフリカ)
2010年9月 – 2012年 レイモントビル・ゴールデン・アローズ(en) (南アフリカ)
2012年9月 - 2013年 アレマニア・アーヘン(ドイツ)
2014年 SVヴィルヘルムスハーフェン(ドイツ)
2014年 – 2015年 ホンスフェルダーSV(ベルギー)
2015年 1.FCロコモティーベ・ライプツィヒ(en:1. FC Lokomotive Leipzig)(ドイツ)
2015年 – 2016年 ヒラル・バーグハイム(de:Hilal Bergheim)(ドイツ)

Jリーグスタートではなく、海外組スタート。

そんな夢を見て、欧州に渡るサッカー少年は、
じつは今多くなっているんですよね。

日本では有名になれなかった、
という意味では加藤恒平(PFCベロエ・スタラ・ザゴラ・ブルガリア)も
そういう意味では、海外でのみ活躍している選手と言えますよね。

日本代表にまで呼ばれる選手が、
海外でのみサッカーしている選手にも出てくる気がします。

レアルマドリードの下部組織にいる、中井卓大や、
現在はFC東京の下部組織にいる、バルセロナ出身の久保建英なんかの活躍を、
みると海外に最初から行くのもありなんじゃないか…
っていうことで海外にわたる人も多いんですよね。

そもそもキングカズ、三浦知良だって、
高校でブラジルに行く、という決断をしたおかげで、
日本を代表する選手になったわけだし、
そういうチャレンジをしていくっていうのは、
良い決断なのかもしれません。

村上範和さんの波乱万丈なプロサッカー人生

2002年、大学3年のときにブラジルでのプレーを目指して現地にわたりました。

パラナ州のクラブと契約まであと一歩のところまでこぎつけたんですが、
ビザの関係で断念。

もともとは欧州でのプレーを目指していたので、
その後周遊チケットを利用してイタリアとドイツに渡る。

ドイツではトライアルを受けて
ザールブリュッケン(当時は3部相当)のツヴァイテ(2軍)への入団許可を得るが、
代理人に不当な金額を要求され断念し、いったん帰国することになりました。

帰国後はサッカーと並行して
プレデターフットサルクラブ(バルドラール浦安の前身)でプレー。

フットサルで代表を目指そうかというほどのめり込んだものの、
2004年6月からはアルビレックス新潟シンガポールに2シーズン在籍。

その後、シンガポール・アームド・フォーシズFCでは、
2007年、2008年の2年連続2冠(リーグ、カップ)に貢献。

シンガポールで活躍した後、
2009年からは、南アフリカ共和国の
プラティナム・スターズFCに移籍。
南アフリカ初の日本人プレイヤーとなりました。

南アフリカでは3シーズン、プレーし、
その間に2010年W杯もあって、
日本vs南アフリカ戦のテレビ中継に呼ばれて、
中田英寿や北沢豪らと出演しました。

2011年3月、南アで所属した2つ目のクラブ、
ダーバンという都市にあるレイモンドビル・ゴールデン・アローズで監督が交代。

ドイツとの出会いは、南アフリカのレイモンドビル・ゴールデン・アローズでした。

 

ビーレフェルト(ドイツ)指揮したエルンスト・ミッテンドロップとの出会いでした。

その出会いで、ドイツとのつながりができたんですよねー。

ミッテンドロップに惹かれた村上は、
ドイツにわたることになりました。

まずは当時3部のアーヘンの練習参加にこぎつけ、
12~13シーズンからの契約を勝ち取りました。

2013年1月、アーヘンは破産宣告を受けてしまい、
勝ち点が剥奪され、チームは4部に降格。

村上範和選手はチームから去らざるを得なくなりました。

 

サッカー大国、ドイツの実力

 

しかし、サッカー大国ドイツの底力を見たのは、
じつはこの破産の瞬間だったといいます。

破産になり、路頭に迷うのか…
って思った村上範和でしたが、

まず所属がなくなった選手は、
選手協会が主催し費用負担するキャンプに参加。

毎週月曜日から木曜日まで、
今週はデュイスブルク、今週はライプツィヒといった具合に、
各地のスポーツシューレをまわり、
地元チームと練習試合をおこなうことができたそうです。

まぁ、もちろん参加できるのは20人で、
上位リーグに所属していた選手から参加する権利が与えられるという流れですが…

その中で、オファーを受けて
契約を勝ち取った選手は、
その場所から抜けていくというシステムがしっかりと根付いているんだって。

アーヘンは上位のクラブだったため、
村上範和はかなり早い段階で参加することができたそうですが、
実績はそこまでなかったため、5部のクラブからしかオファーはなかったそうですが、
そのときにももう一つのドイツがサッカー大国たるゆえんが見えたそうです。

それは失業手当みたいなものがしっかりとあるんだそうです。

しかるべき登録をすれば、
前年度の給料の約7割が支給され、
保険や税金、年金も払ってもらえるんだって。

本当にすごい!!!

こういうシステムがあるから、
ブンデスリーガもドイツサッカーも盤石で強いんだろうなー。

Jリーグはまだまだ遅れてるなぁ…っていうことを改めて思わされますよね。

だって、これ、3部の話ですよ?

J3と同じってことだよね?それでここまでの保証がされているっていうことですもんね・・・

サッカー大国ってすごいですよね…。

それだけではなくアーヘンというチームは3部なのに、
ホームでは1万5000人とか2万人が入り、
バイエルンと練習試合をすれば3万人も入場者がいたそうです。

勝利給もたくさんもらえていたみたいだし、
スタジアムも大きくて…というドイツサッカーのすごさを感じさせる一端だったそうです。

村上範和がヴィッセル神戸の通訳へ…

村上範和にとって現役生活最後の所属クラブは、
ドイツ5部のヒラルベルクハイム。

なんと、スタジアムは、
ルーカス・ポドルスキ・スポーツパーク!

ルーカス・ポドルスキが資金を出して作ったスタジアムだったんですって。

ルーカス・ポドルスキの実家も近く、
ルーカス・ポドルスキといっしょにその側を通ったときに
『お前、ここでプレーしていたんだって?』
って言われたそうです。

ヴィッセル神戸につながる縁ですよねー。

今回の通訳就任は、マリノスユース時代の恩師が
ヴィッセル神戸の強化本部長を務めていることが直接のきっかけ。

就任が決まると、ルーカス・ポドルスキは、
3月にドルトムントで行なわれた自身の引退試合に村上氏を招待。
その後はポドルスキの実家で家族との顔合わせまで行なったそうです。

ここまでつながりが絡むっていうのは面白いですよねー。

村上範和からドイツや海外を目指すサッカー少年へ。

村上範和は、海外サッカーを目指して、
海を渡るサッカー少年に対して、
アドバイスとしてこんなことを言っています。

「ブンデスリーガの華やかさに憧れてドイツに行く人も多いと思いますけど、
J1、J2に入れず直接行くような選手は、入れて5部だと思います。

でも、それで現実を知ればいいし、ドイツは今世界一なんだから、
ダメでも言い訳の必要はないんです。
肌でわかって帰るだけでも素晴らしいこと。

ただ、ドイツは成熟した国だから社会人としての振る舞いは求められる。
サッカー選手は社会の中の職業で、それ以上でも以下でもないんです。
あくまで社会の一員で、自分の立ち位置がわかるのがいいところかなと思います」

海外にいって、人間形成をしっかりとやって帰ってくれる、
そんな人たちが増えれば良いなぁと思います。

チャレンジできるっていうのは、
大事なことですよね。

失敗してもいいから、どんどんチャレンジして、
日本のサッカー界のためとか、
どうでもいいから、自分が納得するまでサッカーやって、
かえってくるっていうのは、
かっこいいと思います。

おれの大好きなストライカー、
大久保嘉人もスペインに渡っていましたよね。

大久保嘉人は、
プロに必要な能力を問われたときに
「能力は人それぞれ、生まれ持ったものが人それぞれあると思う。
あとは足りないところを努力してうめること。
大概の人は努力するのが嫌い。
プロになる人は皆努力をしている、きついけど諦めずやってもらいたい」
と語っていましたからね。

同じですよね。

自分で、どこまで頑張れるか。
足りない、を認められるか。

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