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1997年JFLまとめ…川崎フロンターレ過去の試合結果一覧。

1試合ごとのまとめはまた別途描きます。

川崎フロンターレ初年度についてまとめていきます。

1997年JFL…3位

1997年川崎フロンターレ初年度。

1996年の旧JFL10位から
Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、
富士通サッカー部が、
JSL1部に昇格した時の主将だった小浜誠二が
事実上の責任者となる常務に就任。

川崎フロンターレになる前年度の監督は、城福浩(JFK)でした

知らない人も多いんですが、
実は城福浩さんって昔は、富士通の社員で、
富士通のサッカーチームの監督だったんですよね

富士通からの豊富な資金力を利用して、
プロになるときに、
監督を富士通社員の城福浩からプロ契約の斉藤和夫へと交代。

川崎フロンターレになる前の監督は城福浩だったのを知らない人も多いでしょうね。

JFL初年度は豪華なメンツ。

選手では名古屋の中西哲生、
平塚のベッチーニョ、
横浜Fの桂秀樹、清水の向島建、
横浜Mの小泉淳嗣等を獲得。

豪華なメンバーですよね!!

そして、富士通川崎時代のレギュラーだった
伊藤彰・小松崎保・源平貴久などの富士通社員選手は控えになり、
元Jリーガーを重用した布陣で1年でのJリーグ昇格を目指して戦いました。

グレミオとの提携

川崎フロンターレ初年度から、
ブラジルのグレミオとの業務提携も発表。

ここから、現在のチームカラーが水色と黒なのは、
グレミオのチームカラーを模した名残でした。

これも知らない人も多そう。

1997年の結果

フロンターレは優勝争いに加わって
前半戦終了の第15節終了時点では昇格圏内の2位に付けていました。

後半戦には平塚から野口幸司、
V川崎から長谷部茂利を追加補強。

同9月の第20-22節に上位の直接対決となった
コンサドーレ札幌、東京ガス、本田技研に3連敗という、
いまだに続く、勝負弱さの系譜…

なんと川崎フロンターレ初年度から、
勝てば昇格!っていうところで、
3連敗とかしていたんですね…

昇格圏外となる3位に後退した後に斉藤が監督を辞任。

最終成績は札幌・東京ガスに次ぐ3位となり、
勝ち点1差でJリーグ昇格を逃しました。

シーズン後には野口や長谷部は元の所属チームに戻り、小泉も退団という、
悲しい流れでしたね…

というのが1997年の結果でした。

2 COMMENTS

uraken0710

武岡選手の移籍先、私も気になります…。どこに行くんですかねー。まだ発表がないので心配です…。

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